か、書けない……!!
ちょっと創作から離れて時間が経ったら、急に小説の書き方が分からなくなっちゃったよ。
書きたい意欲はあるのに、筆が進まない……どうしたらいいの……?
そんな問題を解決したい。
小説のような創作物って、少し時間が経つとすぐに書けなくなってしまいますよね。
頭の中にイメージはあるのに、なぜか筆が進まない。こんな経験をする方も多いのではないでしょうか。
私もWeb小説を6年書いていく中で、ざっくり400万字くらいは小説を書いたかと思うのですが、数えきれないほどこういった問題に直面した経験があります。
もちろん、その当初は辛いものですが、峠を越えると今まで通りに書く方法を思い出せるようになりました。
ということでこの記事では『小説の書き方がわからなくなった』と感じているスランプ気味の方に向けて、その対処法を書いていきたいと思います。
小説を書きたいと願う人の支えになれれば、これ以上の事はありません。
それでは、さっそく本編に進みましょう。
Contents
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小説の書き方がわからなくなった時の処方箋【過去の自分を取り戻せ】
まず、『小説の書き方がわからなくなった』と感じているということは、ある程度、書いていない期間があったものとして想定します。
それは、3日でしょうか。1週間でしょうか。はたまた、3ヶ月でしょうか。
その期間は人によってまちまちでしょうが、結論から言うと、期間が長いほど元に戻すまでの時間もかかると思っておいた方が無難です。
それでも、危機を乗り越えるたび『感覚を取り戻す』ことが言語化できるようになっていき、熟練されれば1〜2時間ほどで元の状態を取り戻せるようになります。
今回は、ここをゴールにして話を進めていきたいと思います。
なぜ、小説の書き方がわからなくなるのか?
この問題を解決するためには、『なぜ、小説の書き方がわからなくなるのか?』ここを自問自答する必要があります。
言語化されていない状態では、どこに意識をすれば良くなるのかが分からないわけです。だから、取り戻す事が困難になっているんですね。
逆に言うと、自分が書けていた時は、どうして書けていたのか? もまた、ぼんやりとしている状態です。
『小説が書けるようになる』ということには、実は複数の側面があります。
- 考えていたプロットを忘れてしまった
- 主人公やキャラクターの状況をうまく想定できない
- 言葉が出てこない
あなたが問題視している部分はどこでしょうか。
ここがぱっと出てくるようになるかという所が、この記事の最大のテーマです。
そしてこれは、時間が経つにつれて複合していきます。そんなわけで、取り戻すのに時間がかかるというわけです。
それでは、1つずつ順番に見ていきましょう。
1.考えていたプロットを忘れてしまった
大部分はこれです。
プロットを書かずに進めている場合は尚更そうなのですが、プロットを書いている場合でも、『考えていたプロットを忘れてしまった』という現象は起こります。
なぜなら、プロットには文章の本文を書けるわけではないので、各登場人物がどのように小説で登場し、何を考えどう行動し、結果どういった心境になるのか、という細かい『狙い』の部分までは、書ききる事ができないからです。
プロットを見ても、「? ……なんでこれが面白いと思ったんだっけ」と思うこともしばしば。
頭の中では完成しているシーンでも、プロットに書こうとするとどうしても要点が抜けてしまいがちです。それで、こういった事が起こるというわけですね。
プロットを忘れてしまった時の対処法は、ずばり『実際の状況を頭の中でシミュレーションする』これに尽きます。
なぜなら、プロットを作っている時は、正確に言うと「プロットどうしようかな」と言葉で考えている訳ではないからです。
実際の小説で起こる出来事を想像しながら、「こうなったらこう考え、こう行動してこうなる」というシミュレーションを、まるで映画でも再生するかのように想像しながら書きますよね。
そうして起こされたプロットというのは文章なわけですから、この時点で既に『映像(想像)→文章』へと変換が行われているんですよ。
だから、まずプロットを読み返して、映像の方を思い出す。これがとても重要です。
2.主人公やキャラクターの状況をうまく想定できない
2番目はこれです。登場人物の事を忘れてしまった。
登場人物は人と言えど、作者の頭の中に存在している架空のキャラクターです。そのため、長い時間が経つとキャラクターの個性に変化が生じる事があります。
長編ものの登場人物なんかもそうですよね。時間が経つと、キャラクターの本質的な部分が変わっている事があります。
こんな時、小説から長時間離れている事によって、キャラクターがどのような人間性を持っていたのか、それを忘れてしまう事があるんですよ。
この問題に対しての解決策は、『それまでに自分が書いてきたものを読み直す』ということです。
もし書いているのが連載という訳ではなく、プロットしか無いという状況であれば仕方がありませんが、できれば設定資料などよりもキャラクターそのものが書いてある小説の本文を読み直した方が良いです。
それは登場人物が直面している実際の時間をもう一度思い出すという事に繋がるので、かなり効率よく自分が書こうとしていた内容を思い出す事ができます。
もし、小説もプロットもなく、自分が思い描いていたキャラクターを思い出す事が難しいと感じるのであれば、当時の薄い記憶を頼りに、もう一度キャラクターメイキングから始めてしまうという作戦も取ることができます。
それは、書いた当初は『似て非なるもの』かもしれませんが、後々書いていくと自分がどういったキャラクターで話を進めていこうと思っていたのかを思い出す事があり、それがキャラクターの深みに繋がります。
作ったものは、無駄にはならないのです。
3.言葉が出てこない
最後は単純に、プロットも登場人物も理解しているけれど、『言葉が出てこない』という問題についてです。
日本人でも、海外で過ごした時間があまりに長期間に及ぶと、日本語が出てこなくなる事があるそうです。
それほどに『言葉』というのはナマモノであり、喋っていればどんどん喋れるようになりますし、書いていればどんどん書けるようになります。
どんなに喋りの上手な人であっても、丸一年ひとりで過ごしていたという事があれば、中々当時のコンディションそのままに喋るのは難しいものです。
この問題に関しての対策は、『とにかく書く』ということです。
当時の自分がどれだけ上手に単語を操っていようが、時間が経つと言葉というのはどんどん出てこなくなっていきます。
もうこれは、離れていた時間がある限りどうしようもないことです。
ただし、自分が文章を書いていた、その熟練度によって、元通りに文章を書けるようになるまでの時間というものは短くなっていきます。
だから書くことです。何はともあれ、書き始めること。
どうもうまい言葉遣いができないとか、うまい表現が思い付かないとか、そういった事は多々あるとは思います。でも、それはもうそのまま書いてしまうというのが重要です。
何故なら、言葉というのは頭を捻って編み出すと言うよりは、スポーツに近いからです。それはひらめきです。
今、あまりにも野球をしていなかった事によって、久々に飛んできたストレートを打ち返せないバッターになってしまっているんです。
その対策は、とにかく打つこと。
大丈夫です。フォームが言語化して身に付いてさえいれば、時間をかければいつかは取り戻す事ができるようになります。
まずいのは、『どうもあの時のようにうまく書くことができない』と言って、書くのをやめてしまう事です。
これではますます、取り戻す事が難しくなってしまいます。
バッターボックスに立てないバッターは、当然のことながら打つことができません。
我々は、立つしかないんです。
それでも、小説の書き方がわからないという方へ
上記で書いた事は、いずれも『もう一度小説が書けるようになる』ためのテクニックです。
しかし、当時書けていた自分と、今書けていない自分。その落差に落ち込んでしまい、どうしてもそこから這い上がれない時があります。
「そんなテクニック論は分かっている」ということです。
これは小説を書いているといつかは陥る現象です。
サラサラと小説を書くことができなくなってしまったので、それを取り戻す事が億劫になってしまっているんですね。
私の知人は、『うつ病のようになっている』とか『スランプに陥った』とかといった風に表現していました。
これはマインドセットの問題なので、どうしても這い上がるしかない側面はありますが、私からお伝えできることをここに書いておきます。
コンディションは、『山登り』ではなく『波』
何事についてもそうなのですが、物事を進めるにあたって、多くの人は『技術がどんどん向上して、一度も立ち止まらずにどんどんできるようになっていく』という意識を持ちがちです。
しかし実際は、山登りではありません。波なんです。
たとえば副業を始めるにしたって、同じ給料でずっと行くことは少なく、増える時もあれば減る時もありますよね。
そういった波を描きながら、だんだん、だんだんと上に登っていく。
実は、コンディションについてもこれと同じ事が言えます。
調子が良い時もあれば、悪い時もある。それを繰り返しながら、だんだんと自分が思い描くベストコンディションに向かって、調整を重ねていく。こういった意識が重要です。
どうして我々が、何かができるようになったり、何かの調子を整えようとした時に『波』ではなく『山登り』として見てしまうのかというと、『山登り』の人生を歩んできたからです。
一度小学校を卒業すれば、もう小学校に戻る事はありません。
どれだけ算数の成績が悪かったとしても、一度卒業してしまえば、そこに戻ることはもうできない。こういった仕組みに慣れきっているからです。
『卒業』という概念が、自分の調子が悪くなった時のストレスを増大させているのは間違いありません。
何をしていたって、「あれ? ……あれは、どうなっていたかな」と過去の自分を思い返したり、勉強し直す時ってありますよね。
それと全く同じように、ふと基本に立ち返る事は、誰にだってあるんですよ。
だから、小説が書けなくなっても、書き方を忘れてしまっても全然大丈夫なんです。
一度『このくらい書けていた』という実績を作っているのだから。もしかすると時間はかかるかもしれませんが、必ずそこには辿り着く事ができます。
なぜなら、一度は辿り着く事ができたからです。
引いた波は、いつかはもう一度我々の所にやってきます。
つらい時でも、関わり続ける
『飽きたら辞める』という事を、かなり多くの人がしています。
それは不正解という訳ではなく、自分が最も居心地が良い状態になるためにどうしたら良いかと考えた上での、ひとつの判断でしかありません。
でも、こと『小説を書く』といったような、毎日の繰り返しが効果に反映されるものについては、『飽きたら辞める』は逆効果になる事があります。
書いていればどんどん具合が良い状態になっていくけれど、書かなければどんどん具合が悪くなっていく。
こういった側面を持つものについては、どれだけ書くのが難しい時でも、書き続けるという気合いも大切になってきます。
どうして書き続けているのに辛くなってしまうのかと言えば、それはコンディションには『波』があるからです。
でも、波があるからといって海に行く事さえしなくなれば、サーフィンは上達していきませんよね。
それと同じように、ほんの少し見るだけ、考えてみるだけでも良いから、小説に関係することに『関わり続ける』というのは、とても大事な考え方です。
今はスランプかもしれませんが、そうやって波に乗る機会を探し続けていると、いつか調子が良くなって、小説を書きたくなってきます。
少なくとも1年様子を窺っていれば、どこかではそういった状況が訪れますよ。
でも、1年ゲームをしていたら、その状況は訪れません。
誰にでもあるんだという事を思い出して、がんばっていきましょう。
小説の書き方がわからなくなったときは
時には、あまりにも離れすぎていたがために、もはや見ることも嫌になってしまっている時があります。
誰でも、昔やっていた既にできることを一度手放し、それをもう一度できるように戻すというのは大変な苦労を伴うものです。
嫌ですよね。小学校の計算ドリルを手渡されて、「これを1週間以内にやってください」なんて言われたら、「どうして自分がそんなことをしなければいけないんだ」と、つい思ってしまいます。
『小説の書き方がわからなくなった』というのは、そういうことだと思います。
過去に一度できていた事だからこそ、取り戻すのが苦痛になっているんです。
だから、『常に新しい自分で』チャレンジしてみるという事を、私はおすすめします。
過去の自分は、幻想です。もう二度と過去には戻れないですし、今そこにいる現実こそが自分です。
だから、今そこにいる現実だけを受け止めて、怯えずに立ち向かっていけば、特に苦痛にはならないというのが私の結論です。
もう一度、あなたが作品を完成させられるようになることを願っています。