小説のプロットがついさっき完成して、さっそく本文を書き始めようと思うんだけど……冒頭って、一体何を考えれば良いの?
どうやって話を始めたらおもしろくなるのか分からない。
そんな疑問を解決します。
小説の一番最初のシーン、つまり冒頭って、書き方でとても悩む所ですよね。一番最初に読者の目に触れる所なので、ここが退屈になってしまうとその後を読んで貰える可能性がかなり下がります。
物語を書き始めて17年目です。これから小説を書きたい人向けに、有益な情報をお届けします。
ということで、今回のターゲットはこんな人です。
- まだ小説を完成させた事がない or 完成させた作品は1~3作ほど
- 小説の書き出しがいまいち人の目を引くものにならない
- 冒頭で何に気を付けたら良いのかわからない
初心者にもなるべく分かりやすく、実践できる形で説明するよう意識して書いていきます。
明日の小説が今日の小説よりも良くなるようなら嬉しいです。
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小説の冒頭・始まりの書き方で大事なのは『トラブル』です
結論、小説の始まりで一体何に気を付けたら人目を引く書き出しになるかと言われれば、それは『トラブル』を書くことです。
私はここの意識が無かったので、かなり長い間、物語の始まりに悩んでいました。
最低限これさえ抑えておけば、他の何が分からずとも、ある程度は読者の気を引く事ができるようになります。
逆に、こんな書き方は比較的、あまり読者の気を引きません。
- なんてことない日常
- なんてことない主人公のひとり語り
- 唐突に事件が始まり、激しいが何が起こっているか分からない
もちろん、こういった書き方が悪だという訳ではないですよ。Web小説などで比べると、次ページへのアクセス数に違いが出るという話です。
ただ、上記のようなケースでも、『ある内容』を追加すると改善される場合があります。
このあたり、下で詳しく説明します。
では、どんな冒頭が良いのかという話ですが、気を付けておきたい事が2つあります。
- メンタルモデルを合わせること
- 事件を起こすこと
上記2点について、解説していきます。
1.冒頭では『メンタルモデル』を合わせること
まず、『メンタルモデル』というのは認知心理学の用語で、すごく簡単に言うと、『相手と自分の立ち位置を合わせる』つまり『想像しているものを合わせる』ということです。
どちらかと言えば、これはビジネスの場でよく登場する言葉です。
たとえば物事の説明をするときに、「これから話すことは3つあります」などと最初に発言することで、相手の意識をそちらに向けるという方法のことです。
これを小説に応用します。
先程、読者の気を引かない書き出しの例に『なんてことない日常』という項目を入れましたが、その一方で『なんてことない日常』から語り出す作品は多いと思います。
それはなぜかと言うと、『メンタルモデル』を合わせているからです。
小説は一体、どこから何が始まるのか分かりませんよね。
もしかしたら宇宙から始まるかもしれないし、中世ヨーロッパの舞台から始まるかもしれないし、ギリシャ神話のような世界から始まるかもしれません。
これをできる限り短く表現するために、『なんてことない日常』を登場させる所から始まっているんです。
これが、『メンタルモデル』の効果です。
点滴の針を刺した場所が傷んで、病室のベッドで目を覚ました。
まあたとえばこんな一文があったとすると、それだけで読者は『主人公が病院にいる』というイメージを持つことができます。
こんな感じで、読者が小説を読んでいくために必要なことを、なるべく冒頭でイメージできるように書いていくのが大切です。
自分がイメージしていることを100%すべての読者に理解させることはできませんが、少なくとも冒頭から『現代かと思ったら神話だった』というような誤解を与えずに済むようになります。
2.事件を起こすこと
さて、これがタイトルにも登場しているのですが、小説の冒頭・書き出しで最も重要な要素は、『事件を起こす』ということです。
多くの小説は、何らかの問題が起こり、それを解決するまでの一連の流れを物語としています。
つまり、小説は『事の起こり』を一番最初のシーンに持ってくるのが最も鉄板で、読まれやすいんです。
その、『事の起こり』を表現するために、様々な方法が使われます。
まずは、最も盛り上がるシーンを一番最初に持ってきてしまう、『張り手型』と呼ばれる手法。
いきなりクライマックスシーンを登場させることで、読者の興味を強烈に引くことができます。
よくありますよね。とにかく激しいシーンから始まって、そこに至るまでの事情を語っていく作品。
これは読者の興味を強く引ける反面、必ずそのシーンに行き着く事が分かってしまっているので、本当に盛り上がって欲しいクライマックスのシーンを作るのが少し難しくなります。
もう一つは、小さな問題から始まって、徐々に徐々に大きな問題へと発展していく、『撫で型』という手法があります。
どちらかと言えば、『張り手型』は物語の構成が『クライマックスに向かっていく』事に限定されるトリッキーな手法なので、こちらの方がより一般的です。
冒頭では、できるだけ早く問題を露出させた方が読者の興味を引きやすい反面、早く問題を露出させようと思うと説明できる事が少なくなるので難しくなります。
私は、説明しなくても分かるシチュエーションを模索して作っていく事が多いです。
『メンタルモデル』『事件』の両方を揃えること
ここまで2つ、冒頭シーンのポイントを解説してきましたが、重要なのはこれら2つがどちらも組み込まれているということです。
メンタルモデルを合わせるだけでは、読者に物語の始まりを強く意識させることができません。
事件を起こすだけでは、小説上で何が行われているか読者が察しづらく、置いてけぼりな小説になりがちです。
冒頭で『良くない冒頭の例』を挙げましたが、その詳細について書くとこうです。
- なんてことない日常
→読者が想像しやすい日常から入るのはOK。ただし、なるべく早く事件を起こし、物語を展開させること - なんてことない主人公のひとり語り
→主人公の想いに『読者が共感できる要素』が入っていれば有効になる。ただし、こちらも早く物語を展開させること - 唐突に事件が始まり、激しいが何が起こっているか分からない
→最低限、読者に具体的な場所や状況を想像させるような説明が入っていなければ、読者が置いていかれやすい
そうなんです。それぞれの要素が悪い訳ではなく、それだけで終わってしまうと良くないという話なんですよ。
有名な小説でも、これらの手法を取り入れているものは多いです。
その代わり、はっきりと『事の起こり』つまり『トラブル』を意識させるような構造になっている事が多い、ということです。
普段と何かが違うぞ、という事を読者に意識させる仕組みが必要です。
何度も言いますが、上記の例だって別に悪い訳ではないんですよ。
なんてことない日常から始まり、なんとなくキャラクター紹介が始まり、なんとなく1日を終え、それに丸々2~3話程度を費やし、舞台の紹介が終わったところで――というのも、別に悪くはないんです。
じっくり読んでくれる人からすれば、それが面白いと思う事もあるでしょう。
ただ、じっくり読んでくれない人は、「なんかピンと来ないな」と思って、小説を閉じてしまう可能性が上がります。
それはつまり、読者が制限されるということでもあるわけです。
『賽は投げられた』から見る小説の冒頭
『賽は投げられた』というのは、古代ローマのカエサルが言ったとされる言葉です。
「賽は投げられた(さいはなげられた)」とは、ガイウス・ユリウス・カエサルが紀元前49年1月10日、元老院のグナエウス・ポンペイウスに背き軍を率いて南下し北イタリアのルビコン川を通過する際に言ったとして知られる言葉。
参考:賽は投げられた - Wikipedia
当時のカエサルはガリア総督だった。
出典はスエトニウスの文章 (iacta alea est) である。現在は、「もう帰還不能限界点を越してしまったので、最後までやるしかない」という意味で使われている。
共和政ローマは当時、本土と属州ガリア・キサルピナをルビコン川で分けており、それ故にルビコン川は北の防衛線であったため、軍団を率いてルビコン川以南へ向かうことは法により禁じられていた。
これに背くことはローマに対する反逆とみなされた。
これなんて、すごく『物語の冒頭』に近いですよね。
こんな風に、日常を生活していく中で『事件の起こり』に注目するように心がけると、物語の冒頭に関するアイデアは沢山出てくるようになります。
メンタルモデルを合わせ、事件を起こすこと。この2つが揃っていると、物語の冒頭はとても良くなりますよ。
現場からは以上です。